浪人の頃の心の変化 〜夏休みまで〜
獣医をやめ、自分がやりたいことがなく、迷っていた時期である。それと同時に中高時代のコンプレックスもマックスだった時期である。
・中高時代のトラウマ
正直、メンヘラだった。中高時代、多くの人に俺は獣医になる!と豪語していたため、みんな俺が獣医になりたいことを知ってた。それなのに、いざ獣医になったにも関わらず、みんなから祝福の言葉をもらえなかった。みんなは大学入ったらの話をたくさんしていたのに、なんで俺には何も言ってきてくれないんだろう?
また、獣医をやめた後も誰も僕に行ってきてくれなかった。少しくらい注目してくれてもいいんじゃないの?と。当時の僕はそんなことを本気で思っていた。
それは仲がいいと思っていた、卒業旅行に一緒に行った友達も同様だった。悔しくて悲しくて、僕はそいつらのライングループも抜けた。それでも何か言ってくれることはなかった。
みんなから何にも相手にされず、ただ勉強に打ち込んでる間、大学生活を楽しんでいるみんなのインスタを見たくなくなった僕はインスタを消して、中高の一部の友達以外との関係を完全に遮断した。
ライングループを抜けた後、前の記事で書いた学生交流イベントである問題が起きていた。
その学生交流パーティーに一緒に行った友達が僕の中高時代の友達(卒業旅行メンバー)と大学で一緒に活動していたとのこと。ぼくは友達に全く何も言わず、獣医をやめたためとても心配したんだろう。そこで、どういう思考回路でその考えに至ったかはわからない。しかし、獣医の友達が僕の中高の友達にこう伝えた。
「学生交流パーティーで問題を起こして獣医を退学になったらしい。」
その友達はスクールカーストで最上位だった友達だ。このことを中高の人たちに言いふらし、僕と喋ったことのない人もそのことを知ってるほど、多くの友だちに変な情報が流れてしまった。大学受かったらこいつを地の底に落としてやる。名誉毀損で訴えて一生社会に出られないようにしてやる。そう思った。
・志望校の選び直し
ここで心の変化が起きた。以前言ったように、獣医は給料が低い。それが獣医を辞めたきっかけでもあることを言ったが、
「どうせやりたいことがないのなら、お金をいっぱい稼いでやろう。金の亡者になってやろう。」
こう考え始めた。
そこで改めて志望校を選び直した。
卒業生の年収が高く、自分ができる科目で受けられる学校・・・
そして最終的に。「慶應大学経済学部」を第一志望に決めることにした。
慶應大学経済学部
当時の僕にとって最高な学校だった。
・英語、数学1A2B、小論文だけで受けられる。
・大学のブランドがすごく、日本問わず世界中の大企業の就職実績がある。
・サークルも充実
ここに行けば僕は何も怖くない。自分の思い描いていた人生が待っている!
獣医をやめ、浪人の道へ
獣医に受かった後、やっぱり高校の友達と遊びに行く機会もたくさんあった。あんまり覚えていないが、スキーにも行った記憶がある。楽しかったが、ずっと獣医のことが頭の中にあり、本気で楽しめなかった。
また、春休みの時点では迷いはあったものの、獣医になるつもりだったため、ツイッターで大学の人に積極的にアプローチしていった。そこで一人の男と出会った。
その男も現役で、すぐに仲良くなった。
その男と何度か春休み中に遊びに行った。また、その男と学生交流イベントに参加し、そこで初めて酒を飲んだ。
新宿楽しいなあ。都内の大学に通えばこんなに楽しい思いができるのかという気持ちになり、獣医をやめるという気持ちに拍車がかかったのはいうまでもない。
浪人は4月から、初授業に間に合うように河合塾に入学した。
獣医を目指していたため、少なからず医療に関して興味があった。
「早稲田の理工に入り、医療器具を作り、世界の人たちに貢献するんだ!」
こんな気持ちで志望したのを覚えているが、数3と理科もう一個受けなくてはいけないため、負担を考えて早めにこの志望校は諦めた。
諦めてから数ヶ月間、どこを志望していたのかあんまり覚えていない。しかし、数3を頑張って勉強をしていたのを覚えている。
獣医学科を退学した理由
長年の夢であった「獣医になる」というのが叶ったと思ったが、そうではなかったようだ。
前も話したと思うが、僕は大動物臨床に携わりたいと考えていた。理由は大きい動物が好きなこと、田舎が好きであること、小動物臨床は病院数が多く飽和状態であるため。
僕がいくはずだった大学は、2年生から田舎のキャンパスに移動し、5年間ずっとそこで勉強することになる。また、大動物臨床に対しても力を入れており、僕にとって最高の環境で勉強できるのだ。
また、大動物臨床に進む獣医師は少なく、様々な自治体が条件によっては返済不要の奨学金まで支給してくれるところすらある。そのことを僕は入試の時から知っていたし、借りるつもりであった。
辞めた本当の理由
入試の合否が発表され、歓喜に包まれていたのもつかの間、すぐに鬱の時期がやってきた。
①田舎が怖くなった
僕は昔から田舎が大好きで、高校三年生の途中まで田舎に行く大学が第一希望であった。しかし、高校三年生の途中から、都会に憧れを持つようになった。きっかけは兄が都内の大学に通っており、体育会ではあったがよく都内に遊びに行き、楽しそうな大学生活を送っていたのを見ていたからだ。前のブログを読めば分かるように、中高時代にあまり青春できなかったため、大学では最高の青春を謳歌してやろうと思っていた。しかし、残念ながらその大学に行けば周りには山しかないど田舎のため、僕の思い描いている青春は送れないのだ。
②田舎が怖くなったために大動物臨床に行きたくなくなった。
獣医になるのが嫌になった理由のほとんどに「田舎が怖い」という理由が含まれていると思う。
田舎が怖くて大動物臨床に行きたくなくなり、他の分野の獣医になろうと思った。
・小動物臨床
獣医の花形の獣医。しかしこれにはなりたくないと思った。いろいろ調べてわかったことだが、まず給料が少ない。医者と同じ知識量と技術を必要とされている業務であるのにも関わらず、医者の給料の4分の1である。開業すれば多少よくなると言われるが、開業資金で莫大な借金をし、医療器具などの代金、自由診療のため価格は自分で設定できるが、高ければ客が来なくなるためできるだけ安い料金に設定せざるを得ない。そして何と言っても激務であるということ。週休2日なんてありえないし、夜遅くまでの業務、そんな生活を強いられるのにも関わらず、薄給で、潰れていく獣医がたくさんあるという。
・公務員
これは結構迷った。獣医の公務員も他の公務員と同じで、公務員試験に合格することでやっと公務員になれる。田舎が怖くなっているため、地方公務員ではなく、国家公務員の獣医師枠をうけることになる。しかし、業務は単純とのこと。例えば食肉の安全管理や、公衆衛生のなんかの仕事など、獣医の膨大な知識がなければできない仕事ではあるかもしれないが、単純作業で終わるような仕事をして行きていくのは嫌なため却下。
・民間企業に就職
一番迷った。獣医が企業に求められることはたまにあるらしく、多くはペットショップである。ペットショップの開発に限らず、獣医師としてイベントの開催、実際に診療する機会もあるそうだ。しかし、獣医学科で6年間地獄の勉強をするのに最初から民間企業に就職する道を選んでたら、獣医学科に入る意味がないしやる気が進まないだろう。
これらの理由で道を閉ざされてしまった。おそらく、田舎の大学ではなく、自宅から通える距離の大学にかよっていれば獣医をやめることはなかったかもしれない。しかし、この選択をして本当に良かったと思える大学生活を送っている。そのため、この時期の僕の選択を後悔したことはない。でも、やっぱり受験費用に限らず、入学金、授業料全てを払ってくれた親にはとても申し訳ない。
僕は入学式の前日に獣医をやめる決断をした。
激動の高校生活② 部活を辞めてから受験まで
剣道部を辞めてから
やめるとやはり気まずい。同級生から理由を聞かれるだけなら適当に誤魔化せばいいが、先輩や顧問に会うのがとても気まずかった。
また、今まで忙しくも充実していた(?)毎日にぽっかり穴が空いてしまった。みんなが部活で頑張っているのを横目でみながら帰っていく自分に虚無感を感じていた。
帰宅部の人たちとも一時期つるんでいたがウマが合わず、一人で帰ることが多くなった。クラスには普通に友達がいるが、Aの影響で友達からのからかいが多くなった気がする。部活を辞めた負け犬という肩書きがあるため、みんないじりやすかっただろう。
地獄の高校2年生
2年になり、受験の色が出始めてきた。
そんな2年生のクラス替えで、Aとは別のクラスになった。クラス替えで新しい友達も色々できたが、今まで仲良くしていた友達がAの影響で僕をいじめるようになっていた。
夏には修学旅行で沖縄に行った。高校生活では中学とは比にならないほどいじられるようになったため、修学旅行ではあまりいい思い出がない。
新しく塾に行くようになり、徐々に成績が上がってきたところで、高校時代最大の嫌なことが起きたのは文化祭だった。
高校最大の地獄
僕の高校は、2年生までしか活動できない。高校最後の文化祭では屋台をやることになっている。
文化祭準備期間にその事件は起きた。
やはり文化祭の前ということで、多くの学生のテンションは爆上がりだった。そこで僕へのいじりも爆上げになっていた。
なんと、髪の毛を切られたのだ。AとAの仲のいい友達が協力して髪の毛を切ってきた。2回切られたのだが、1回目はAの仲のいい友達が僕を押さえ込み、Aが切った。そこでキレるべきだったが、ヘラヘラしてしまったのだ。そして2回目、屋台の土台ができたところで記念撮影をとる時、後ろからAの仲のいい友達が切ってきた。そこで僕の中で張り詰めていた糸が切れた。殴りたかった。しかし、ここで殴ってしまったらこいつらと同じになってしまう。ならばせめてこいつらの人生をめちゃくちゃにしてやろう。
そいつらは学校の推薦を狙っていた。それだ。
そこで僕は先生にチクった。すると案の定そいつらは職員室に連れて行かれた。当然だろう。文化祭はもちろん出られなくなり、停学処分を食らった。
しかし、その飛び火は僕にもかかってきた。もともと部活に入っていなく、友達が少なかった僕は文化祭で一緒に回る友達がいなかった。それに、髪の毛を切られた僕を擁護する人はほとんどおらず、AとAの仲のいい友達はスクールカーストでも上位にいる奴らだったため、「なんでちくったんだよ」という奴らまで現れた。悔しかった。俺が悪いことをしたのか。なんで奴らは責められず、僕だけが責められなければならないのか。
獣医への夢②
なんどもいうが、獣医はとても難しい。医学部ほどまでは行かないが枠が少なくて、何年も浪人して受かるか受からないかのレベルなのだ。それに受かる人も少なく、僕の周りには一人もいなかったため、ツイッターで獣医学科の人に積極的に話しかけた。高校時代の成績とその時の勉強法、獣医での生活や勉強量など。その頃の自分の偏差値と近い先輩もおり、その人には特にお世話になった。その人とのメッセージのやり取りは余裕で1000を超えるレベルだ。相当獣医に対する思いが強かったことがうかがえる。
高校三年生
無事3年になることができ、成績も今までとは見違えるほどよくなった。模試でも学年の上位には必ず入れるような成績にもなった。Aたちも髪の毛事件以来、ちょっかいを出すことはなくなり、徐々に高校生活の楽しさを味わい始めた。予備校にも通うようになり、一緒に通っている友達も増えるようになった。
そして夏休み、僕は毎日予備校の自習室に閉じこもり、勉強をしていたため特にいうこともなし。
そして二学期、夏休みで部活が引退になる人が増え、仲が良かった友達も僕と一緒に帰るようになっていた。なんだかんだ高校生活の中で一番楽しかったのがこの時期かもしれない。学校が終わって、飯を食い、公園で一緒に遊び、夜まで自習室に閉じこもり勉強する。息抜きをしながら勉強することで成績もどんどん上がって行った。
そして
運命のセンター試験。と言いたいが、センター試験は受けなかった。僕はセンター試験が苦手だった。センター模試を受けても成績が全くと行っていいほど上がらず、対策しても無駄だと悟った僕はセンター試験の対策を一切せずに当日も朝から自習室に閉じこもって勉強した。
運命の受験
2月に入り、受験本番期間になった。試験の雰囲気を知るために受けたFラン以外は、獣医学科の試験しか受からなかった。また、諸事情により、日本獣医生命科学大学は受けず、日本大学、北里大学、麻布大学、酪農学園大学を受けた。
記憶は定かではないが、2月の1、2、3、5と結構ハードなスケジュールだった記憶がある。
試験が終わった後の感覚的には、全滅と感じた。手応えが全くなかった。部活をやめ、いじめられ、最悪だった高校生活に加えて、受験まで落ちるのか。悔しかった。
しかし、
なんと一校から合格をもらうことができた。
奇跡だった。信じられなかった。興奮が止まなかった。これで、夢だった獣医になれる。そう思っていた。。。。
続く
激動の高校生活① 部活を辞めるまで
今日は高校時代
高校入学まで
中学での剣道部は夏頃に引退したが、大会でレギュラーだった5人が顧問に呼び出された。
「この中に高校でも剣道を続けたいと考えている奴はいるか」
特にやりたい部活もないため、続ける方向性で考えていた。
5人中4人が僕と同じ考えだった。すると、引退したはずだったのに秋から高校生の練習に参加することになった。
このままこの4人で高校剣道部で練習してく、そう思っていた。
高校入学から部活開始まで
高校に入学し、4人で高校剣道部に行くつもりだったが、なんと一人が入学直後にラグビー部に行ってしまった。それに続き、ずっと悩んでいたもう一人もラグビー部に入ってしまった。
僕も悩んだ。しかし、唯一残った一人(A)が、「一緒に頑張っていこう、お前はやめるな、一人にしないでくれ!」という言葉で高校剣道部に入部を決意した。
高校剣道部の実態
高校剣道部は中学よりも桁外れにきつくておかしい部活だ。
・定休日なし
・平日は朝練
・朝練はスクールバスが通っていない時間から始まるため、チャリを購入して学校へ向かう
・部費は月2万円
・部室から道場まで走って向かわなければならない
桁外れの基地外部活である。部費2万は何に使われるのかというと、夏に博多に遠征しに行くための飛行機代や食費、ホテル代に使われる。
地獄の高校剣道部
高校ではスポーツ推薦があり、剣道部でも女子3人男子3人の6人がスポーツ推薦で入部した。(新一年生は僕含めて8人)
練習は想像を絶するほど過酷だった。早起きが苦手な僕が毎朝5時に起き、朝練するため、授業は睡眠時間であった。普通の練習もきついため、疲労が溜まっていく。そのため、元々成績が低かったのがさらに落ちていった。しかし、追試や補修で練習の参加が遅れると鬼の顧問に怒られるため、何としても引っかからないように勉強した。
獣医への夢①
中学時代から、うっすらと獣医になりたいと思うようになっていたが、高校に入り進路について考えるガイダンスが増えるにつれてその思いが強くなった。
獣医は難しい。難易度は早慶レベルと言われ、国立は医学部並みの難易度である。私立には5校(現在は6校)しかなく、わずかな枠を多くの学生が取り合うことになる。国語が苦手であり、国立は無理だと考えていたため、私立専願で理系の道に進んだ。
高校剣道部、退部
獣医に向けての思いと剣道部のきつさの間でなんとも言えない思いの中、夏休みに突入した。ここから地獄が始まる。もちろん夏休みはずっと練習の毎日。きつかった。
そして博多の遠征だ。遠征とはいえ、夏に全国の高校生が集まる大会(玉竜旗)があり、その大会にはレギュラーの選手だけが出るため、僕たちはみてるだけだった。楽だったが、部屋で夜更かししてしまい、寝坊してしまい朝の集合に間に合わなかったため、顧問にキレられたのは今思い返せばいい思い出だったのかもしれない。
そんなこんなで夏休みを乗り越えたが、ここで一緒に中学から高校剣道部に一緒に入部したAが変わってしまう。
思い返せばいじめだったのかもしれない。容姿のこと、性格のこと、様々なことで僕をバカにするようになった。それはクラスでもそうだった。同じクラスだったのだがクラスの数人を引き連れて僕を罵倒しに来るようになってから、Aを嫌いになっていった。
Aを嫌いになってからというもの、なぜ自分は剣道部に入ったのか、わからなくなっていった。そして、11月、顧問や先輩に相談することなく辞める決意をした。顧問にはもちろん怒鳴られた。先輩には特に何も言われなかった。もちろん剣道部を辞めた理由はAだけのせいではない。
剣道部を辞めた理由
・A
・スポーツ推薦が強いため、上級生になってもレギュラーになれる気がしなかった
・スポーツ推薦の一人がとてもうざかった
・きつい思いをしてまで剣道が好きではなくなった
・獣医を目指すにはもっと勉強しなくてはならなかった(顧問や先輩や同級生にはこの理由を話した)
すべてのつらいことから解放されて、やっと自由になれる!楽しい高校生活が待っている!その時はそう思っていた。
次は「激動の高校生活② 高校卒業まで」
今日は中学時代の思い出をつらつら語って行きたいと思います
今日は中学時代の思い出をつらつら語って行きたいと思います
入学〜部活入部まで
私立の中高一貫校に合格した僕は晴れて入学した。学校へは電車で30分、満員電車に乗りながら通学する。
この時の僕は彼女が欲しかった。そのため、共学の学校を選んだのだが、これこそが最大の間違いだったのかもしれない。この時の僕はとんでもないKYで目立ちたがり屋で、とても浮いていただろう。
自己紹介の紙を描く時、自由記入欄に「彼女募集中」と本気で書いたり、今考えればとんでもなく恥ずかしいことをしていた。
そんな僕にも友達(特に仲が良かったのが3人)はできた。その友達も僕と同じく彼女が欲しかったらしく、4人の中で彼女ができなかったら、一人に500円というルールが作られ、彼女作りに必死になった。当然言動がキモすぎて僕に彼女ができるはずもなく、ほかの3人は彼女を作ってしまい、絶望に打ちひしがれたのはいうまでもない。
部活入部
僕は小学校の頃から何部に入るかは決めていた。小学校からずっとやっていた野球部に入ると思いきや、剣道部を選んだ。それは小学校の時によく見ていた「暴れん坊将軍」の影響だ。メンバーは10人ほどで、うち経験者は2人だった。ここから僕の剣道人生の始まりだ。
剣道部
幸運にもたくさん未経験者がいたため、気軽に剣道をすることができると思い、即入部を決意した。しかし、剣道部は結構忙しく、定休日は1日のみ、土日は高校生の練習に混ざりながら練習するという厳しさだった。しかし、剣道は楽しく仲間とも打ち解けあい、楽しい日々を過ごしていた。
もちろん部活のため、試合もある。初めての試合ですごく緊張したことを覚えている。もちろん試合はなかなか勝てなかった。
そんなこんなで一年生は終わり、二年生に突入する。この時期になると試合にもちょくちょく勝てるようになった。
だが、この時大きな転機が訪れる。
剣道の団体戦は5人(先鋒、次鋒、中堅、副将、大将)+補欠の二人で構成される。つまり、この5人の中に入らなければ事実上試合には出れないということである。
僕よりも強い人が4人おり、僕は5、6番目の強さであった。この五番目に入れるかどうかで試合に出られるかどうかが決まる。
二年生の秋、僕は剣道部の合宿を休んでしまったこと、部内試合で五番目を競っていた仲間に負けたことで、2年最後の公式戦では五番目に入れず、補欠として試合に出ることになってしまった。
悔しかった。素直な気持ちで試合を応援することはできなかった。
僕は練習に明け暮れ、家でも練習をした。その結果、中学最後の公式戦ではレギュラーに選ばれることができた。
公式戦では活躍し、なんと僕の学校では初めての都大会に出場することができた。試合は一回戦で敗退してしまったが、僕の人生でも大きな思い出の一つだった。
中学時代の人間関係
僕はすごくいじられキャラである。身長が低く、ちゃらんぽらんでKY。これほどいじられキャラとして格好の獲物はいなかっただろう。
僕は小学校の時はわがままで感情をむき出していたため、友達から嫌われていた。そのため、中学では、何を言われても、やられても笑いながら反応するし、むしろいじられても自分に構ってくれることに高揚感すら抱いていた。構ってくれなかったら、自分から構ってもらうようにした。そのおかげで、女子からはキモい目で見られ、もちろん彼女はできず、スクールカーストは最底辺だった。友達が恋話をしてても自分だけ仲間外れにされて取り残されてる気分だった。
剣道部でもいじられていた。時には病むこともたまにあった。しかし、なぜいじられているのか、理由は自分にあったと気づくのはまだまだ先のことである。
中学時代の勉強
勉強は全然できなかった。もちろん授業もまともに聞いてなかったから当たり前といえば当たり前だ。試験前もあんまり勉強しなかった。定期テストでは赤点こそほとんどなかったものの、平均点を超えたことはほとんどなかった。模試でも偏差値50を超えたことはなかったし、国語に関しては30台だった。
しかし、この時から獣医になりたいと思うようになっていた。
中学時代の振り返り
いいところ
・目標に向けてひたむきに努力できるところ
剣道部でレギュラーになるという目標に向けて努力できた。
悪いところ
・周りが何も見れていない
KYで周りを見ることができないため、友達から白い目で見られていた。それを自分のせいだと気がつかずに人のせいにしていた。
「何をやられても笑っている優しくていいやつなのに、なんでみんなは俺に冷たいんだろう?」
てな具合で。
・自分がレギュラーでなかったら応援できない
応援できないどころか、早く負けろ!と心の底から思っていたクズである。これは今でも変わらない。これは悪いことというか、単なるクズの考えであると思うが、こういった感情は普通の人はないのだろうか?
次回、高校時代の思い出
【初投稿】僕のプロフィール
中高時代
中高一貫で中学〜高校と同じ学校、同じ友達と生活してきた。
中学は剣道部で3年間頑張ってきた。
高校でも剣道を続けていたが、諸事情により7ヶ月でやめてそれ以降帰宅部。
中高卒業〜大学中退
帰宅部になり、猛勉強の甲斐があり、某私立獣医学部獣医学科に現役で合格。そのまま入学した。
しかし、入学式前日に退学を決意。休学という扱いになったが、戻るつもりはなく、予備校に通い、晴れて浪人生になった。
浪人〜大学入学
浪人が決まり、獣医の夢がなくなったワイは、次に何になろうかと考えた。
浪人の夏あたりで志望校を決定し勉強に励むも、現役で受かった大学よりもランクが下の大学しか受からず、浪人失敗という形で幕を閉じた。
大学入学〜現在
浪人の時に、大学になったらやりたいことリストのようなものを作っていた。その中には、「いろいろな経験をしたい」という項目があった。
それをモットーに行動をした。いろんなことをした。
波乱万丈の僕の人生をブログで書いていくんで、興味があれば読んでください!