僕の人生

僕の波乱万丈の人生

なぜ旅を始めたか

旅を始めた理由は実のところ定かではない。おそらくではあるが、浪人時代に旅の動画か記事を読んで、漠然と「いきたいなあ」と思った程度である。

 

俺が初めて旅をしたのは一年の夏だった。同じ学科の友達とヒッチハイクの旅に出かけたことは鮮明に覚えている。

始めは日帰りで静岡に行った。

そして1ヶ月後に約5日間かけて大阪へ行き、観光して帰って来た。もちろんヒッチハイク

そこから俺にとっての旅が始まった。

 

その旅は本当に楽しかった。新しい出会い、新しい場所、何もかもが新しいことばかりでとても刺激をもらうことができた。

ここで俺は自身のSNSヒッチハイクの投稿をあげた。するとみんなからの反応は以外にも良い。もともと目立ちたがりな俺からすれば、これほど自分の承認欲求が高まる瞬間はなかった。

 

それから月日が経ち、初めて海外へ旅に行った。東南アジアである。そこでは非日常の様々な体験や経験、文化を肌で感じることができた。

 

旅の詳しい内容については面倒なので省略するが、そのほかにも旅というものをたくさんして来た。

 

ヒッチハイクもしたし、もう一度東南アジアも行ったし、離島へサバイバルしたり、90km歩いたり、原付バイクで旅もした。

 

 

そんな俺が一体旅を通じて何を知ったか、何を感じたか、何を学んだかを考えていきたい。

 

価値観が変わる

 

具体的にどう価値観が変わったのか。

 

・新しいものとの出会い

 

旅先では人との出会い、文化、ご飯など、たくさんの新しいものとの出会いがある。

 

1、人との出会い

ヒッチハイクでは強制的に人と出会わなくてはいけない。長時間乗っていれば、乗せてくれた人の人生や自分自身の人生を語るいい機会になる。聞くことでッソの人の考えていることや常識が自分自身の価値観として蓄積される。また、自分自身の人生の振り返ることができるため、改めて将来について考え直す機会にもなる。

海外ではまた違った出会いがある。例えば僕は陸路でタイからラオスに行ったことがある。その時は最大9時間狭いバスの中で現地人と隣り合わせで移動することになった。英語があまり通じなく、コミュニケーションをとることができなかったが、一緒にご飯を食べたり、適当なギャグをして笑わせたりして、言語超えた友人になれた気がする。

離島サバイバルでは、離島に住んでる人と話す機会があった。サバイバルできつい旨を伝えると、「サバイバルみたいに辛い経験をすれば将来辛いことがあっても乗り越えることができるよ」と言ってくれた。会えてよかったと心の底から思うことができた。

 

2、文化やご飯の違い

 

東南アジアに行って思ったのが、とにかく自由ということだった。交通ルールなんてないも同然、タバコはそこらへんでプカプカ吸ってもなんも言われないし煙たがられない。屋台もそこらへんで適当に開いてゴミも適当にポイ捨てできる。僕が言いたいのは、そういうのをやりたいとかではなくて、日本では考えられないような世界が広がっているということ、自分自身をそのまま表現できるということ、現地人も人間のありのままの生活を送っているということ、それに刺激を感じた。

人間の温かみというものを感じることができたのだ。

 

3、文明の素晴らしさ

 

日本にいるとなかなか気がつけない。電車やバスが予定通りに着く、道路がしっかり整備されている、など、実際に行って見なければ実感できないことがたくさんあった。それと同時に、日本は恵まれているということ、日々の生活に感謝しなければならないということがわかった。

 

 

計画力が身につく

 

僕は宿をその日にとるようにしている。それはその日、どこに行くかがわからないからだ。それは単に自分を追い込んでいる訳ではない。その日何が起こるかどこに行くかがわからないのに、宿を決めることでその行動が制限されてしまうと嫌なだけだ。

また、予期せぬ事態が起こるのも日常茶飯事。その場で臨機応変に対応しなければならないことが増える。それらに対応する力がつくのはもちろん、その経験が日常生活の些細なことにも対応できるようになる。

 

 

と、まあこんな感じ。