面接対策 モチベーションの源泉について
俺がどういう時にモチベーションが上がるのか。
やっぱり俺のモチベが上がるのは
多くの人の笑顔を見ることかな。
それを感じるエピソードは2つある。
・MC
一番はMCの経験だな。一年の時はコーラスとして出演していたが、その時でさえ、「自分の力でこんなに多くの人に喜びと感動を与えられるんだ!」「今までの大変な練習に逃げ出したいことはたくさんあったけど、練習して本当に良かった!」そう思えた。
ライブが終わって、もっと人を笑顔にしたい、直接お客さんと近い距離で、近い気持ちで笑顔にしたいなと思った。
MCの練習は大変だった。でもあの笑顔を見たい。それをモチベーションとして練習を頑張ることができたし、ライブ後の高揚感は忘れられない。
・居酒屋のバイト
俺の居酒屋は他の店とは違ってお客さんとより近い距離で接客する居酒屋だ。
俺がホールの業務をするときはお客さんがより楽しめるか、美味しく食ってもらえるかを考えて接客した。
もちろん居酒屋の業務は大変だ。タッチパネルないし、お客さんに呼ばれて注文を受けて、料理と酒を持っていかなければならない。
でも、帰り際に「美味しかった。またくるよ!」と笑顔で言ってもらうと疲れやイライラがすべて吹っ飛ぶ。
回答
・MC
私のモチベーションの経験は「笑顔」です。私がしたことが他の人の笑顔に繋がったとき、今までの苦労やきついことが全て吹っ飛びます。
その経験は、ゴスペルサークルのライブでの経験です。
コーラスとしてステージに立った時、そしてMCとしてお客様の近い距離で、近い気持ちでお客様の笑顔を見れた時、「私の力で多くの人に喜びと感動を与えられるんだ!」「今までの大変な練習に逃げ出したいことはたくさんあったけど、練習して本当に良かった!」そう思えました。
・居酒屋
私のモチベーションの経験は「笑顔」です。私がしたことが他の人の笑顔に繋がったとき、今までの苦労やきついことが全て吹っ飛びます。
その経験は、アルバイト先である居酒屋の経験です。
私がアルバイトをしている居酒屋は、お客さんとより近い距離で接客する居酒屋です。私はお客さんがより楽しめるか、美味しく食べてもらえるかを考えて接客しました。
お客様がメニューを見ていたら声をかけることでオーダーを取り、箸を落とす音がしたら呼ばれる前に素早く箸を持っていくなど、お客様目線で居酒屋の雰囲気を楽しんでいただける接客を心がけました。
業務はとても大変だが、帰り際に「接客が良かったし美味しかった。またくるよ!」と笑顔で言ってもらうと疲れやイライラがすべて吹っ飛びました
面接対策 〜苦手な人編〜
苦手な人
「約束を守れない人」
理由
約束を守ってくれない人がいると、その後の計画に大きな支障が出るから。
俺は大人数での遊びや飲み会の予定を立てる幹事を務めることが多い。その時、時間を守らなかったり、ドタキャンをされてしまうとお金の工面もめんどくさく、何より友達のことを信頼できなくなる。
対処法
時間を守らない人には予定の時間よりも早めの時間を伝え、遅刻しても問題がないようにする。ドタキャンをする人には、事前に参加するかどうかの確認を行い、ドタキャンを防ぐようにしている。
解答例
私の苦手な人は「約束を守れない人」です。
それは、約束を守ってくれない人がいると、その後の計画に大きな支障が出るからです。
私は大人数での遊びや飲み会の予定を立てる幹事を務めることが多い。その時、時間を守らなかったり、ドタキャンをされてしまうとお金の工面もめんどくさく、何より幹事の私が一番損をしてしまうからです。
そこで、私は時間を守らない人には予定の時間よりも早めの時間を伝え、遅刻しても問題がないようにし、ドタキャンをする人には、事前に参加するかどうかの確認を行い、ドタキャンを防ぐようにしています。
面接対策 MC編
ES
私は自身が所属する総勢100人のゴスペルサークルが開催している1300人規模の大きなライブでMCを務めた。
お客様にライブをもっと楽しんでもらうために私が工夫したことは単にライブの進行をするだけでなく、ライブのコンセプトに沿いつつお客様が親近感を持てるような構成を作り、会場全体が盛り上がるよう心がけたことだ。
また、多くの部員から意見をもらい、部員全員でMCの構成を加筆・修正を行った。そしてライブ後のアンケートでは以前のライブよりもMCを含め、全体の満足度が向上した。
Q1.具体的にどのように親近感を持たせようとしたか?
私が所属しているサークルは、曲を現代風にアレンジし、POPな曲風が特徴のゴスペルを歌い、アーティストさながらの盛り上がりをみせる。
そのため、お客様も盛り上がれるように、音楽の乗り方を教え、コールアンドレスポンスをして場の雰囲気を一体にした。
以前までのライブでは、MCはあくまで休憩のような位置付けであった。
しかし、MCとして唯一お客様の前で話せるため、お客様がより楽しめるライブにしたいという思いを持ってMCをした。
Q2.なぜMCを頑張ろうとしたか
自分で言うのもなんだが、完成度が高く素晴らしいライブをもっと多くのお客様に楽しんでもらいたかったから。
MCは大学二年生のときに担当したが、大学1年生の時はコーラスのみでの出演だった。1300人の前でステージに立ち、歌を歌う経験をしたことがなかった私にとって、多くの人を感動させ、笑顔にすることがここまで楽しいのかと気づいた。MCになることでさらに多くのお客様を笑顔にさせることができればと思った。
Q3.MCで大変だったこと
コーラスとしての練習の合間にMCの練習時間を設けることとお客様の反応が本番しかわからないということだ。
私たちは毎週3回、合計10時間のコーラスとしての練習をおこなっている。その中、MCとして練習時間を作るのは大変だ。当然学校の授業もあり、多くの人前で話すには多くの練習が必要となる。
そこで私が工夫したことは、居残り練や授業の合間に練習はもちろんのこと、部員のみんなにお願いして、正規練の中に実際に部員にMCを聞いてもらう時間を設けたことだ。お客様目線の鋭いフィードバックをもらうことができ、部員とはいえ100人の前で話すことで本番の雰囲気を味わい、場に慣れることができた。
Q4.MCの経験を通じて学んだことは?
お客様の立場になる大切さ。
初めてゴスペルのライブに来てくれた多くの人にとって、ゴスペルの良さというものを説明するのは難しい。
そこで、より楽しくライブを聴いていただけるためにはどうすれば良いかをお客様の立場になって考えて構成を作った。ライブの音楽の乗り方や盛り上がり方など。
なぜ旅を始めたか
旅を始めた理由は実のところ定かではない。おそらくではあるが、浪人時代に旅の動画か記事を読んで、漠然と「いきたいなあ」と思った程度である。
俺が初めて旅をしたのは一年の夏だった。同じ学科の友達とヒッチハイクの旅に出かけたことは鮮明に覚えている。
始めは日帰りで静岡に行った。
そして1ヶ月後に約5日間かけて大阪へ行き、観光して帰って来た。もちろんヒッチハイク。
そこから俺にとっての旅が始まった。
その旅は本当に楽しかった。新しい出会い、新しい場所、何もかもが新しいことばかりでとても刺激をもらうことができた。
ここで俺は自身のSNSにヒッチハイクの投稿をあげた。するとみんなからの反応は以外にも良い。もともと目立ちたがりな俺からすれば、これほど自分の承認欲求が高まる瞬間はなかった。
それから月日が経ち、初めて海外へ旅に行った。東南アジアである。そこでは非日常の様々な体験や経験、文化を肌で感じることができた。
旅の詳しい内容については面倒なので省略するが、そのほかにも旅というものをたくさんして来た。
ヒッチハイクもしたし、もう一度東南アジアも行ったし、離島へサバイバルしたり、90km歩いたり、原付バイクで旅もした。
そんな俺が一体旅を通じて何を知ったか、何を感じたか、何を学んだかを考えていきたい。
価値観が変わる
具体的にどう価値観が変わったのか。
・新しいものとの出会い
旅先では人との出会い、文化、ご飯など、たくさんの新しいものとの出会いがある。
1、人との出会い
ヒッチハイクでは強制的に人と出会わなくてはいけない。長時間乗っていれば、乗せてくれた人の人生や自分自身の人生を語るいい機会になる。聞くことでッソの人の考えていることや常識が自分自身の価値観として蓄積される。また、自分自身の人生の振り返ることができるため、改めて将来について考え直す機会にもなる。
海外ではまた違った出会いがある。例えば僕は陸路でタイからラオスに行ったことがある。その時は最大9時間狭いバスの中で現地人と隣り合わせで移動することになった。英語があまり通じなく、コミュニケーションをとることができなかったが、一緒にご飯を食べたり、適当なギャグをして笑わせたりして、言語超えた友人になれた気がする。
離島サバイバルでは、離島に住んでる人と話す機会があった。サバイバルできつい旨を伝えると、「サバイバルみたいに辛い経験をすれば将来辛いことがあっても乗り越えることができるよ」と言ってくれた。会えてよかったと心の底から思うことができた。
2、文化やご飯の違い
東南アジアに行って思ったのが、とにかく自由ということだった。交通ルールなんてないも同然、タバコはそこらへんでプカプカ吸ってもなんも言われないし煙たがられない。屋台もそこらへんで適当に開いてゴミも適当にポイ捨てできる。僕が言いたいのは、そういうのをやりたいとかではなくて、日本では考えられないような世界が広がっているということ、自分自身をそのまま表現できるということ、現地人も人間のありのままの生活を送っているということ、それに刺激を感じた。
人間の温かみというものを感じることができたのだ。
3、文明の素晴らしさ
日本にいるとなかなか気がつけない。電車やバスが予定通りに着く、道路がしっかり整備されている、など、実際に行って見なければ実感できないことがたくさんあった。それと同時に、日本は恵まれているということ、日々の生活に感謝しなければならないということがわかった。
計画力が身につく
僕は宿をその日にとるようにしている。それはその日、どこに行くかがわからないからだ。それは単に自分を追い込んでいる訳ではない。その日何が起こるかどこに行くかがわからないのに、宿を決めることでその行動が制限されてしまうと嫌なだけだ。
また、予期せぬ事態が起こるのも日常茶飯事。その場で臨機応変に対応しなければならないことが増える。それらに対応する力がつくのはもちろん、その経験が日常生活の些細なことにも対応できるようになる。
と、まあこんな感じ。
将来の夢について
僕の将来の夢はコロコロ変わってきた。
・小学校の頃
警察官、自衛隊
・中高の頃
医師、獣医師
今覚えば全ての夢が人助けの職業なのがわかるだろう。
獣医に関しては犬猫専門の獣医ではなく、家畜を診て人々の食の安全を守る獣医になりたいと思っていた。
そして今の僕の将来の夢は
「発展途上国の支援を行う仕事」をするということだ。
具体的に話すと、発展途上国ならではの新しく便利なサービスを開発している企業を投資で支援し、発展させ、そのサービスを各地の発展途上国へ広める仕事がしたい。
理由は2つある。
一つは、発展途上国に実際に行った経験をもとにある記事を読んだからだ。
こんなビジネスが日本にあるわけがないし、発展するわけがない。でもアフリカならとても役に立つ。実際に発展途上国(東南アジア)に行き、実感することができたからこそ僕はそれを実現できると思うんだ。
もう一つは、僕が思うかっこいいビジネスマンとしてのあるべき姿であると思うからだ。
確かにボランティアとして多くの時間を費やし、直接自分の手で身近の人を助けるのは素晴らしいことだと思う。
しかし、ビジネスマンである以上、僕にはある一定の収入や待遇が必要だと思う。それに多くの資金を持ち、人を動かすことができる力があれば自分の周りの人だけでなく、世界中の多くの困った人たちを助けることができる。
このように、「何かしらの形で人を助ける仕事」をしたいと思うようになったのにはある一つの出来事が原因だと僕は思っている。
そのエピソードは僕が高校生の時にあった出来事である。
予備校で模試があった。昼間は雨が降ってなかったのになぜか夕方になったらいきなり土砂降りの雨が降っていた。いわゆるゲリラ豪雨だな。
みんな傘を持ってなかったため予備校の出口に集まって雨が止むのを待っていた。
その時、足に障害を持った子が雨の中予備校を出て駅に向かおうとしてた。足元が雨で滑るのもあって、転んでしまった。足が不自由で、転び方も結構派手だったため、なかなか立ち上がれない。
みんなが、そして俺含めてみんなその様子を見ていた。しかし、誰も助けに行かなかった。俺も助けに行けなかった。
おそらくみんなが見ている前で雨の中出てって助けに行く勇気がなかったというのと、誰かが助けに行くだろうという他人に対する甘えがあったのだと思う。
結局群衆の中の一人の女の子が傘を持って行って助けに行った。その人には心の底から尊敬している。
それを見た時、自分が行動を起こせなかったことに対する情けなさとともに、助けに行った人に対する憧れを持った。
この出来事以来、困っている人など、自分が助けられる範囲のことが目の前で起きたら助けるようにしている。
どんな仕事をするにしても、回り回って必ず世のため、人のためになあっていると思う。しかし、その仕事に誇りは持てるか、役に立っている実感はあるか、ちゃんとした志を持って仕事に取り組んでいるか、これらがある仕事を僕はやりたいと考えている。
浪人結果
今回はちゃんとセンター対策もしてセンターを受けた。
しかし、結果は散々な結果に終わった。
英語 7割
数学7.5割
化学8割
早慶レベルを目指していたため、センターでMARCHを取りに行くつもりだったが残念ながらMARCHには一個も引っかかることはなく成蹊大学の理工学部(偏差値50以下)しか受からなかった。
のちにわかったことだが、おそらく英語でマークミスをした可能性が高い。どっちにしても満足のいく結果は出せなかった。
しかし心を入れ替えて勉強に励むことにした。
直前まで対策しまくった。特に慶應に関してはとても頑張った。SFC受ける前日か前々日にはあの小論文の先生に見てもらい、最後の指導をしてもらった。いい報告をしてやる。そう心に決めて受験に望んだ。
しかし、結果は残酷なものだった。
第二希望 慶應大学 経済学部 ✖️
以下滑り止め
最初にあった試験は上智と明治だった。判定は良かったが、本番で発揮できず落ちた。不合格通知が来た時は泣いた。
続いて中央。落ちると思っていた。
慶應、絶対受かったという自信はなかったが、ワンチャンあるのでは?と思っていた。
なにも合格通知がないまま2月を終えそうになっていた。
また浪人するのか、2浪か・・・
と思っていた時にやっと中央から合格通知が来た。
本当に行きたかった慶應に行けなかった。
さすがに受かると思っていた上智も落ちた。
ただ、中央に行くことができた。どこか一つでも受かって良かった。
獣医よりもだいぶランクは下がったし、とても悔しい気持ちもあったが、無事浪人生活に幕を降ろすことができた。
浪人の頃の心の変化② 〜夏休み以降〜
実は夏休みが終盤に差し掛かった頃、肺気胸になった。入院中のことは特に話すことがないので割愛。ただ、こんな僕でもお見舞いに来てくれる友達がいた。
心の変化②
2週間入院した。だから2週間予備校の授業が受けられなかった。
夏休みに慶應経済に行きたいと思い始めたので、2学期から小論文の対策授業を取り始めた。初めての小論文の授業、その小論文の先生によって大きく心を動かされた。
話がうまいのはもちろんのこと、人生そのものや、大学に入り社会に出てからのことなど、何もかも自分の考えが変わった。
その授業を聞いて、僕は将来、自分が本気でやりたいと思ったことを仕事にしたいと思うようになった。
そこで「起業」の文字が明確になった。
今まで起業を目指したことはあった。なぜなら、社長になって儲かるから。しかし、先生の話を聞いてから、金儲け以上に、じぶんのやりたいことを貫こう!そう思った。
もう一度、自分の志望校を選び直した。
新しい志望校は
自分のやりたいことを学ぶことができ、様々なものが得られる設備、機会が揃っている。卒業生には多くの起業家がいる。ここを第一希望にして、受験勉強に励むようになった。
自分の進むべき道が分かれば、あとは行動が早かった。SFCは英語と小論文だけで受けられる学校だったため、超長文の英語対策、小論文対策をしっかりした。
小論文はもちろんその先生に相談しにいった。一回2時間に及ぶ個別指導もしてもらった。人気な講師なだけあって、自分以外にも多くの学生がその先生に相談していた。僕は独り占めをしたかったため、学生の一番最後尾に並び、他の学生が終わるまで待ち、最後、先生が帰るまでずっと教えてもらっていた。
また、落ちた時のことも考えて、数3や理科、慶應経済の英作文もしっかりと勉強していた。
しっかりとした考えのもと、志望校が決まってからは受験勉強が楽しくなってきた。ご飯のときも「スタディサプリ」をみていたため、見た数だけならどんな受験生よりも見ていたと思う。
また、正確な時期は覚えていないものの、「旅」というものに興味を持っていた。理由はどっかのブログで読んだ、「旅をすると人生が変わる」という文字に大きな興味を持ったのが始まりだった気がする。